【KOLインタビュー】米国で救急救命の専門医になるまで〜#1

(カーブジェン竹谷(以下、竹谷)) 篠崎先生、本日はよろしくお願いします。まず先生の千葉大学からNorthwell Healthまでのご経歴からお話しいただけますでしょうか。

(篠崎)はい。私は2002年に千葉大学医学部を卒業して、その後すぐに千葉大学の救急集中治療医学講座に入局し、救急と集中治療と外科のトレーニングを受けました。その後、2005年から大学院に所属して、救命救急領域で三大疾病と言われる、外傷・中毒・心肺停止患者さんの基本トレーニングを全て受けました。その中でも特に心肺停止患者さんを自分の研究テーマに選んで、それ以来心肺停止の研究を続けて参りました。その過程で、救命救急医として上述した三大疾病は全て診療をこなしつつ、その他の多岐にわたる診断も行っていました。大学院を卒業し博士号取得後3年間は、その臨床のトレーニングを活かす場として、千葉市立青葉病院救急集中治療科の救命の部長として出向しました。そこでは主に臨床現場での診療を行っており、研究活動としては症例報告などを続けていました。しかし、その後千葉大の先生から研究と臨床と両方をできる医師になるためには留学が必要だと助言を受け、2013年に千葉市立青葉病院の救命部長を辞任し、University of Pennsylvaniaに留学を決めました。そのときの研究テーマは心肺停止蘇生の患者さんの救命率向上に関わる病態生理の解明、及び治療法の開発というテーマで、渡米しました。

(竹谷)心肺蘇生をテーマにされたということで、当然Lance B. Becker先生の名前が選択肢として上がったのだと思います。それ以外にも有名な先生はいらっしゃったと思うのですが、特にBecker先生を選ばれた理由はあったのでしょうか?

(篠崎)留学先は当時の運と巡り合わせ、あとはフィーリングの要素で決まると思っています。カリフォルニアやピッツバーグを含めて3つの候補がありましたが、各研究室の条件や歓迎具合といったフィーリングの中で、Becker先生の所では、日本人、東洋人は私が初めてで、先生が親日的だったことは大きな要素であったためペンシルバニア大学を選びました。

(竹谷)フィーリングの要素は重要ですね。ペンシルバニア大学に来られてからはまさに心肺蘇生の研究をされていたと思うのですが、もう少し詳しく研究内容をお聞かせください。

(篠崎)蘇生の研究については、私が元々在籍していた千葉大学の救急集中治療医学の研究室では侵襲学を中心に平澤博之教授が初代教授として講座を開きました。侵襲学がメインだったので、心肺停止蘇生後の侵襲、サイトカインストームや、サイトカインストームから来る炎症性のプログラム細胞死(アポトーシス)と、心肺停止、虚血再灌流傷害を併せた内容を行うことが当時のESであり、それを学びたいと思っていました。そのため最初に行ったのは、血中のサイトカイン濃度が心肺停止のラットのモデルで上がっていることを確認し、そのサイトカインを除去するフィルターをラット用に作製することでした。その後、その侵襲が訪れる時間が心停止から1時間から2時間程度経っていることが分かり、その頃にはラットは痙攣し始めるといった悪い状態に陥ってしまっていたため、なにかその1個手前の大事な病態生理を見逃しているのではないかという考えに至りました。そこから侵襲はもしかすると二次性の傷害であって、他に一次性の傷害が存在するのではないかという考えに至ったのが、留学から1年から2年くらい経った時期でした。その後Becker先生がメインで研究されていたミトコンドリアの機能障害、つまりミトコンドリアの方が一次性傷害なのではないかというような助言を頂きました。酸素を消費してATPを産生する機能がミトコンドリアのメイン機能であるため、酸素やエネルギー代謝の測定をBecker先生の教室で動物を使用して実施してきました。それがこの過去5年くらいの私の研究テーマです。

(カーブジェン中島(以下、中島))先ほどペンシルバニア大学のBecker先生の研究室には日本人で篠崎先生が初めて留学されたと仰っていましたが、Becker先生のもとでは何人程の規模の中でお一人だったのでしょうか?

(篠崎)Becker先生がシカゴ大学から基礎研究のラボごと連れて行かれたのが2002年なので、15年ほどは入れ替わり立ち代わりで5人から7人ほどでした。基礎研究のラボ7、8人に加えて、臨床グループは20、30人くらいでした。それを併せた形でペンシルバニア大学のCenter For Resuscitation ScienceをBecker先生が運営されていたので、常に定例会では30、40人くらいの人たちがいました。唯一の東洋人は台湾からの留学生であり当時の親友だったワン先生と、あとは中国人のラボのテクニシャン、残りは西洋人ばかりでした。

(中島)その後先生が入られた後は、日本人は少しずつ来られるようになったんでしょうか?

(篠崎)はい、非常に多くて、現在ではBecker先生のラボの半分以上が日本人になりました。

(竹谷)そこからNorthwell Healthに来られたのは、Becker先生が1からラボを作られたということで一緒について行かれたということですね?

(篠崎)はい。それが2015年、留学して2年半くらいの時期でBecker先生が当時はペンシルバニア大学のdirectorの頃でした。アメリカでの医師のキャリアは、日本での課長・係長といった初めての管理職がdirectorで、その上がvice-chairmanで、更にその上にchairmanがいます。おそらく日本で言うと部長に当たるかと思います。Becker先生がペンシルバニア大学のdirectorからNorthwellのchairmanに昇格されたのが2015年の秋で、そのころにはまだ酸素やミトコンドリアの研究を始めたばかりだったため、一緒に研究しないかと先生に誘っていただいたのが契機となりました。その時に、日本に帰って留学の経験を生かして日本でアカデミアのキャリアを積むのか、それとももう少しアメリカで研究を続けるのかという選択を迫られました。ただ、そこでアメリカに長く在住されている先輩方からご助言を頂いたり、チャレンジングでもあり華やかなイメージもあったりしたため、日本に帰るのではなくアメリカに残って研究していくことを決断したのが、キャリアにおける全ての始まりであると感じています。

(中島)2015年にNorthwell Healthに移られてからのキャリアもお伺いできますでしょうか。

(篠崎)アメリカ在住歴の長い方からのアドバイスを受けながらNorthwell Healthへ行くことは決めたのですが、正直そこから先の計画はゼロでした。ペンシルバニア大学にいた際には、同じ年齢、同じ子供の数、在米年数などの同じ背景を持つ方を探すのは難しく、色々な分野の方から助言を頂きました。その結果、やはり研究職は不安定な職であるため医師免許をとっておくべきだということや、研究者として研究をやっていくにはNIHのグラントを取らないといけないため、グリーンカードをとっておいた方がいい等の様々な分野の方からの助言を頂き、グリーンカードを取りつつ、研究の仕事を続けるために医師免許で仕事を安定させることを、3年から5年以内には実現したいと漠然と感じるようになりました。Becker先生についていく条件としては、臨床免許の取得をお手伝いしてくださる事とグリーンカード、その2つがあればついていきますと返答しました。そして実際にBecker先生はそれを約束してくださり、漠然としたイメージを3年間くらいで達成する必要があると感じたのが2015年です。

(中島)2015年ですね。その2つが達成されたのはいつでしたか?

(篠崎)去年の2021年になります。アメリカではレジデントをするということが臨床と直結します。アメリカ国外の人が応募を始めると、約50%程度の方がテストで落とされ、残った50%のうちその半分である25%の方しかアメリカでレジデントをすることができません。

(竹谷)テストが通ってもレジデントに行けないということでしょうか?

(篠崎)そうです。レジデントに進むには現地でのコネクションが重要で、アメリカ国外からレジデント希望があっても,受け入れてもらうことは,とても難しいようです。

(竹谷)そのためにアメリカにきてコネクションを作る必要があるということでしょうか。

(篠崎)はい、それがほとんどの様に思います。もちろん優秀な成績で紹介状を書いてもらって日本から渡米するという優秀な方々も日本人医師にはいるのですが、諸外国の医師ではアメリカでコネクションを作って,レジデントを始めるということが多い様です。

(竹谷)医師の試験は日本からでも受けることが可能なのですか?

(篠崎)そうですね。英語さえできれば受けることができます。そのような先生もいらっしゃいます。グリーンカードを持ってレジデントに到達するというのが私の一つのゴールで、それが2018年ですね。そこから3年間はレジデントで決まったプログラムがあり、そこでは落第しないこと、追い出されないことが自分の中でのゴールでした

(中島)2015年に立てた3〜5年計画は順調にいったのでしょうか?

(篠崎)はい、本当であれば1年、1サイクル前に入れていたかもしれなかったのですが、私の計算ミスでテストが7月サイクルだったことを当時は知らなかったため、2年半ほどかかってしまい、2年半の準備期間と3年間のレジデント期間で合計5年半になりました。

(中島)素晴らしいですね。貴重なお話をお聞かせいただきありがとうございました。

プロフィール:篠崎 広一郎
Department of Emergency Medicine, Donald and Barbara Zucker School of Medicine at Hofstra University and Feinstein Institutes for Medical Research, Northwell Health, Assistant professor


2002年千葉大学医学部卒業。その後千葉大学にて救命救急医として勤務し、米国ペンシルバニア大学を経て、現職。救急救命における細菌感染症、特に敗血症等の救命治療研究に従事。

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