【ホワイトペーパー】製薬会社における抗菌薬開発の課題

1.はじめに

薬剤耐性菌は医療上、経済上の大きな脅威となっており、2022年の報告では、2019年における最近の薬剤耐性菌が直接的な原因となる死者数は全世界で127万人と推定されました[i]。日本においても、2020年の報告によると、2017年におけるメチシリン耐性黄色ブドウ球菌に起因する死者数は4224人、フルオロキノロン耐性大腸菌に起因する死者数は3915人と推定されています[ii]。この合計約8000人という数字は年間の交通事故で亡くなる数(令和3年:2636人[iii])よりも大幅に多いとされています。

また、これら薬剤耐性菌による経済への影響についても大きなものとなっており、2018年に報告されたOECDの調査によると、OECD調査対象33か国およびEU28か国の合計として、2015年から2050年までの期間について毎年平均で35億USドルの歳出が発生すると試算され、この金額は感染症に関する歳出のうち10%を占めるとされています[iv]

このような背景を受け、2016年の厚生労働省のAMRアクションプランにも掲げられているように[v]、耐性菌に対処するための新規抗菌薬の開発も極めて重要です。

[i]Murray CJL et al. Global burden of bacterial antimicrobial resistance in 2019: a systematic analysis. The Lancet. 2022. 

[ii]Tsuzuki S et al. National trend of blood-stream infection attributable deaths caused by Staphylococcus aureus and Escherichia coli in Japan. J Infect Chemother. 2020;26(4):367- 371

[iii]警察庁「統計表」https://www.npa.go.jp/publications/statistics/koutsuu/toukeihyo.html

[iv]OECD. Stemming the Superbug Tide. November 07, 2018:https://www.oecd.org/health/stemming-the-superbug-tide9789264307599-en.htm

[v]厚生労働省「薬剤耐性(AMR)対策アクションプラン (2016-2020)」

2.抗菌薬開発の現状と課題

抗菌薬の開発は1990年以来、新しいクラスの抗菌薬はほとんど開発されていません。これは既存の抗菌薬に化学修飾を行うという従来の開発方法に限界が生じていることや[vi]、抗菌薬の売り上げに十分な収益性を期待できないことから、製薬会社が新規の抗菌薬開発に対して積極的に投資を行いづらい構造になっている点が一因となっています。

高血圧や糖尿病などの慢性疾患の治療薬と比較すると、抗菌薬は投与後、対象の菌が死滅した段階で投与が終了するため投与期間が短くなります。また、抗菌薬の不適切な投与により、新たな耐性菌の発生につながりうるため、抗菌薬の投与は積極的には行わず、慎重に実施されています[vii]

そのため、数多く売り上げることが会社の利益につながる既存の枠組みと抗菌薬は、いわば相性の悪い関係であり、企業に多くの利益を生み出さない構造が生まれています。

このような理由から、販売量に応じて売上を回収する既存のモデル(プッシュ型インセンティブ)のもとでは、企業側としても新規抗菌薬の開発に対して積極的に投資することが難しい状況が生まれています。

そのため、抗菌薬の販売を開始した後の収益性を確保する枠組みであるプル型インセンティブが求められています。

[vi]平井敬二 . 日本発の抗菌薬開発の歴史と今後の展望について . 日本化学療法学会雑誌 . 2020; 68 (4): 499-509

[vii]AMR臨床レファレンスセンター「薬剤の研究開発」:https://amr.ncgm.go.jp/medics/2-2-2.html

3.プル型インセンティブの検討と今後目指していくべき方針

プル型インセンティブとは抗菌薬の販売に成功した場合に報酬を与える仕組みです。具体的には抗菌薬の使用量・販売量に関係なく、製薬会社に報酬が支払われる仕組みや、他製品に適用できる市場独占期間を延長する制度などが挙げられます。この枠組みの下では、多くの販売数を見込むことが難しい抗菌薬でも、開発に成功した場合に一定の利益を確保することが出来るため、新規開発への投資を促進することが出来ます。

新たな抗菌薬の開発には、約2,000億円かかるともいわれており[viii]、プル型インセンティブを採用した場合にも、製薬会社に十分な報酬が支払われるよう制度設計をしていかなくてはなりません。

米国ではこうしたプル型インセンティブを促進するため、2020年に法案が連邦議会に提出されました。また、英国では2022年4月12日に抗菌薬に対して世界初となるサブスクリプション方式での調達案を公表し、塩野義製薬及びファイザーと年間1000万ポンド(約15億円)規模の契約が締結されています[ix]

しかし抗菌薬の開発費用を考慮すると、年間15億円を英国から支払われただけでは十分ではないとの指摘もあります。

仮に、製薬会社に年間500億円の支払いを行うこととし、GDP上位10か国がGDP額で按分した金額を負担する場合、英国では年間約25億円の負担が必要です。50か国で負担する場合でも約18億円の負担が必要になります。このように、多くの国が足並みをそろえてプル型インセンティブを導入したとしても、英国での年間15億円という額が十分とは言えないと考えられます。

日本を含む多くの国では、現時点でプル型インセンティブを推進するための法整備が進んでいません。しかし抗菌薬開発をめぐる厳しい環境を考慮し、今後、世界中で抗菌薬開発の推進について議論を深めることが求められています。

[viii]Towse A et al. ‘Time for a change in how new antibiotics are reimbursed: Development of an insurance framework for funding new antibiotics based on a policy of risk mitigation.’ Health Policy. 2017 Oct;121(10):1025-1030. 

[ix]英国NICE(Natonal Institute for Health and Care Excellence):「NICE reaches important milestone in the UK’s efforts to tackle antimicrobial resistance.」https://www.nice.org.uk/news/article/nice-reaches-important-milestone-in-the-uk-s-efforts-to-tackle-antimicrobial-resistance

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